凧上げの由来

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浜松が徳川家康の手に落ちる前は、今川の飯尾家が引馬城の城主とし て浜松を支配していました。引馬城は今の東照宮の位置にありました。 城主の飯尾豊前守の長子である義廣の誕生を祝して、入野の住民佐橋 甚五郎が太凧に義廣と書いて城中で揚げたという記録があり、これが 浜松の凧上げ祭り起源とされています。 その関係で、3日には入野町で祈願祭が行われ、当町も参加します。

江戸時代に入ってからも、秀康の客のために松平頼母が大手門前で凧 を揚げた記録、松平豊後守資訓が三方ヶ原で遠州浜松組と三州吉田組 の凧合戦をした記録などがあるそうです。 明治時代は、凧の形も大きさも各町バラバラで、各町は揚げたいとき に揚げたいところで揚げていたそうです。明治の終わり頃、現国鉄浜 松工場で全町内が集まって凧合戦を始めてから、統一会場での凧上げ に変わってゆきました。



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入野の祈願祭の様子です